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宮崎地方裁判所都城支部 昭和48年(タ)4号 判決 1973年11月26日

原告

橋満栄次

被告

宮崎地方検察庁都城支部長

検察官検事

宇都宮竜一

主文

亡橋満十次郎(本籍宮崎県小林市大字東方四、六三八番地)と亡西窪国義(本籍宮崎県西諸県郡小林町大字真方五、三七二番地の一)との間に親子関係がないことを確認する。

訴訟費用は国庫の負担とする。

事実

一、原告は、主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として、つぎのとおり述べた。

(一)  亡西窪国義(以下単に国義という。)は、戸籍上では本籍小林市大字東方四、五一二番地戸主橋満喜次郎の除籍中その長男橋満十次郎(以下単に十次郎という。)の四男として出生届がなされ、その後西窪利八(以下単に利八という。)の養子となつたように記載されているが、真実は十次郎の子でない。すなわち、国義は、大正四年三月一日ごろ、西窪利八とその妻ナミとの間に出生したものであるが、当時利八とナミは婚姻していなかつたので、国義をナミの私生子として届け出ざるを得なかつたが、利八は、このような届出をしたのでは国義の将来に支障が生ずるかもしれないと案じ、遠縁にあたる十次郎に対し同人の子として出生届をすることを依頼したので、十次郎は、その依頼に応じ国義が自己の四男として出生した旨の虚偽の出生届をした結果、戸籍上国義が十次郎の四男である旨の記載がなされたものである。

このことは、国義がその後間もなく利八と戸籍上養子縁組をしていることや、国義が出生当初から西窪家で養育され、橋満家で養育されたことがないことに照らしても明らかである。

なお、利八と十次郎の身分関係を詳述すると、利八の弟登助は吉園清太郎の養子となつており、十次郎の妻マツは右清太郎の長女であつて、利八と十次郎は遠縁関係にあるものである。

(二)  国義は、昭和二〇年七月一六日死亡し、その後昭和四五年一〇月一六日に十次郎が死亡したので、十次郎の相続人らが協議した結果、十次郎の長男である原告が十次郎の全遺産を承継することとなつた。

そこで、原告は、相続不動産につき所有権移転登記手続をするため、戸籍上の代襲相続人である国義の子や孫に対しその協力を求めたが、その一部の者の協力が得られないので、右の所有権移転登記手続できない。

(三)  原告は、十次郎と国義との間に親子関係が存在しないにもかかわらず戸籍上親子関係があるような虚偽の届出がなされていることによつて、前記のような不利益を受けているので、右両者間に親子関係が存在しないことの確認を求める。

二、被告は、適式の呼出を受けたのに本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面をも提出しない。

三、証拠関係<略>

理由

一まず、戸籍上親子と記載されている双方が死亡した後に、第三者からその親子関係不存在の確認を求める訴が許されるか否かについて判断する。

親子関係の主体の双方が死亡した場合、その親子関係は過去の法律関係になることは明らかであるが、こうした過去の法律関係であつても、それによつて生じた法律効果につき現在法律上の紛争が存在し、その解決のために右の法律関係の存否につき確認を求めることが必要であると認められるときは、確認の訴の利益を認めるべきであり、右の場合には、人事訴訟手続法第三二条第二項、第二条第三項を類推適用して、法律上の利害関係を有する第三者たる親族は、検察官を被告として死亡者間の親子関係不存在確認の訴を提起することができると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一・第二・第四・第六号証によると、国義は、戸籍上では本籍宮崎県小林市大字東方四、六三八番地橋満十次郎の四男として出生届がなされその旨の記載がされていたところ、昭和二一年七月一六日死亡したこと、その後昭和四五年一〇月一六日に十次郎が死亡したこと、原告が十次郎の長男であることがそれぞれ認められ、また、証人西窪ノブの証言および原告本人尋問の結果によると、原告が十次郎の財産をすべて相続人により承継することになり、戸籍上十次郎の代襲相続人となつている国義の子や孫に対し、右の相続財産である不動産につき相続による所有権移転登記手続をするについての協力を求めたところ、そのうちの一人の協力が得られなかつたことが認められる。してみると、原告は、亡十次郎と亡国義との間に親子関係がないことを主張するにつき法律上の利害関係を有する第三者に該当するというべきであるから、前記説示したとおり検察官を被告として死亡した右両名間に親子関係がないことの確認を求めることができ、本訴は適法なものものとしてこれを許すべきである。

二そこで、亡十次郎と亡国義との間の親子関係の存否について判断する。

(一)  前掲甲第一、第二、第四・第六号証に証人橋満栄作、三反田フミエの各証言および原告本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

(1)  国義は、戸籍上大正四年三月一日に十次郎の四郎として出生し、大正一二年二月一七日に西窪利八の養子となつた旨の記載がなされているが、国義が橋満家で養育された形跡は全然なく、かつ、十次郎の子である原告、橋満栄作、三反田フミエらは、国義の近隣に居住しながら同人と兄弟、兄妹としての交際をしたことがなかつたこと。

(2)  原告と橋満栄作は、その父十次郎から国義は戸籍上四男として記載されているが、真実は自分の子でないとその生前に聞かされたことがあり、また、原告は、十次郎が他人に対し、三男の甚作(大正三年三月二四日生)が出生してから一年も経過しないのに人に頼まれて国義を四男として出生届を役場に出さなければならなかつたので、恥ずかしい思いをしたと打ち明けているのを聞いたことがあること。

(3)  十次郎と利八とは、原告が主張するような遠縁関係にあること。

(二)  他方、前掲甲第四号証に証人西窪ノブの証言を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

(1)  西窪ノブは、昭和一二年五月八日に国義(死亡当時の本籍宮崎県西諸県郡小林町大字真方五、三七二番地の一)と婚姻したが、婚姻後間もなく義母の西窪ナミ(利八の妻)から同女が国義を出産し、生後四〇日の国義を連れて利八のところへ嫁入りしたと聞かされたこと、そこで、ノブは、国義に対し同人が利八の子ではないのではないかと問いただしたところ、国義は、自分は真実利八の子であると返答したこと。

(2)  国義は、生後間もなく西窪家で養育され、同家では従来から国義が利八の実子であることに疑念を抱いた者が一人もなかつたこと。

(三)  以上の認定事実を総合して判断すると、国義は、大正四年三月一日ごろ、西窪利八とその妻ナミとの間に出生したものであるが、当時利八とナミとは婚姻していなかつたので、国義をナミの私生子として届け出ざるを得なかつたが、利八は、このような届出をしたのでは国義の将来に支障があるかもしれないことをおそれ、遠縁にあたる十次郎に対し同人の子として出生届をしてくれるように依頼したので、十次郎は、やむなくその依頼に応じ、国義が自己の四男として出生した旨の虚偽の出生届をした結果、戸籍上国義が十次郎の四男である旨の記載がなされたが、その後利八とナミとが法律上の婚姻をしたので、国義との間で戸籍上養子縁組をした旨の届出をしたものと推認するのが相当である。

三よつて、亡橋満十次郎と亡西窪国義との間に親子関係がないことの確認を求める原告の本訴請求は正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、人事訴訟手続法第一七条を適用して、主文のとおり判決する。

(辻忠雄)

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